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ミハナのプロフィール。自分の時間を自分と自分の大事な人に使いたくて41歳で仕事を辞めてフリーランスになった物語

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プロフィールを見てくれてありがとうございます。

このプロフィールは自分の事を素直に語ってみようと思って作成しました。
 

私はコミュ障で裏方が大好きな男です。

そんな自分でも、自身の体験を通して誰かの役に立てればと強く憧れています。
 

このプロフィールを読むことで、下記のような気持ちになります。

  • 副業したい会社員の人 → ブログの可能性を知ることで、自分のチカラで稼ぐことに前向きな気持ちになれます。
  • 会社での価値観に疑問を持っている人 → 会社よりも大事なものがあるって気持ちになれます。
  • 自分のチカラで稼げている人 → もっと早くに気がつけよと笑い飛ばし明日への活力になります。

『働きかたは色々ある。
自分の時間を自分と自分の大事な人のために使いたい!』

って考えてフリーランスになったミハナの自己紹介をさせてください。

ミハナのプロフィール。
妻と一緒にいたくて41歳で仕事を辞めてフリーランスになった物語

生い立ちからフリーランスまでの経緯

物語(1):生い立ち

愛媛県出身で、自営業の祖父母と両親と妹が家族構成。どこにでもある『普通』の家庭です。

1977年生まれ。
 

社長の孫として生まれた私は、祖父の会社が遊び場でした。祖父の会社は車の内装工場だったので少し広く、子どもが走り回るには十分です。

祖父や父が自営業の『社長』として働く姿に、憧れみたいな感情が子ども心にありました。祖母が従業員の人やその家族にいつもご飯を作っていたのが印象的です。
 

小学校までは活発で行動的だった気がしています。
 

私にとっての1つの転機になったのは『転校』です。

中学になって家を購入した我が家は、今までの中学とは道1本はさんで別の中学の校区でした……。
 

「道1本くらいのことなら、なんとか今までの中学に通いたい!」

そうやって親に頼んで誰かに聞いてもらったけどダメでした。
 

転校して初日……自己紹介をしたらいきなり笑われました。
 

「……。」
 

意味がわかりません。

後で聞いたら、同じクラスの誰かにそっくりだったそうです。悪気があったわけではないのでしょうが、当時の自分には別の中学から転校してきて初日の出来事で、バカにされたような劣等感がありました。
 

そんな感情、今まで1度も感じたことはありません……。

その後、中学校生活も慣れましたが、小学校時代ほど活発にはなれませんでした。友達もそれほど多くなかったハズ。でもこのときにおっさんになった今でも毎年会う親友ができました。
 

その後、高校受験になって志望校に行った時に転校前に仲のよかった友達に会いました。
 

私:「おーーー、久しぶり。お前もこの学校を受けるんだ?」

友:「うん?『お前』ってオレに言っているんだ。そうだよ、この高校受けるんだよ。」
 

って笑いながら、少しバカにされたように言われ、すごく距離を感じてしまいました……。

どうやら『お前』って言ったのがダメだったようです。小学校時代は毎日遊んでいたのに……。
 

この出来事がキッカケで、本当に仲のいい友達にしかコミュケーションが取れなくなってしまいました。

その後、私は高校にはあまり行かずにバイトに明け暮れることになります。バイト先では1番年下だったので、年上の先輩たちにかわいがってもらい楽しかったです。
 

この時期にもう1人、今でも会う親友ができたがのポジティブな思い出です。

高校を卒業した後は、何度か転職をして神戸に出ることになりました。

物語(2):絶対的な絆がほしかった20代の話

「お前の責任だぞ!」

私を担当してくれた先輩が怒られていました。
 

営業職についた私は、最初成績が出せなかったんです……。
 

私 「これ僕の責任ですよ、だから怒るなら僕にしてくれませんか?」
先輩「うるさい、お前は黙っていろ……。」
 

私は「なんでオレのことで先輩が怒られるんだ?」っていう不思議な気持ちでいっぱい。
 

その後……
 

私  「僕のせいでスミマセンでした。」 
先輩 「気にするな。」
 

一言も文句を言われませんでした。私を怒ることもしません。一方的にかばってくれたんです……。

もう、感動しかなかった!
 

なぜなら、今まで上司にかばってもらったことなんて無く、逆に私のせいにされることばかりだったから……。
 

20数年間生きてきて、今までただの1度もそんな経験がありませんでした……。
 

先輩・上司なんてクソだって思っていた私の価値観が一変します。
 

「身体を張って守ってくれる人間は親以外にも存在するんだ……。」
 

絶対的な絆をみつけたと思いました。

それからは絶対的な存在として接するようになる。返事はYESのみ。
 

・黒いものでも白と言われれば黒だと返答する
・コーラを指差して水だろと言われれば水だと返答する

 

『はじめて親鳥をみたひな鳥みたいだな』と、自分のことながら不思議な感覚で客観視していました。

その後は仕事で成績を出せるようになり、グループ全社のなかで1位まで上り詰めます。
 

給料も平均で月40万円〜50万円。最高額だと月250万円になったこともあります。

この頃には、毎日飲み明かすのが普通になります。キャバクラに狂っていた時代……給料はすべてお酒に消えました。

物語(3):仕事にすべてを捧げた30代の話

仕事ができるようになった私は、横浜支店の支店長として働くことになります。

でもすぐに、本社都合で会社を閉めるとのこと……。この間わずか半年です……。別の業種に変更するとのことでした。
 

その後、神戸時代の先輩と合流して、

先輩「なぁ、もう営業をやめて2人で製造工場に就職するか?」

私 「そうですね。営業はもういいですね……。」
 

自分のなかで製造業に就職するイメージをしていると、先輩から驚く話が……。
 

先輩「オレは独立して今の営業の仕事をやることにした。お前も手伝ってくれないか?」

私 「えーーー、製造業はやめたんですか?」

先輩「ああ。営業をやる。2人で現場に出たら最低限くらいの売上は余裕で作れるだろ?」

私 「そりゃ作れるでしょうね……。」
 

先輩は私のなかで絶対的な存在。コーラでも水と言われれば水だと答えた私です。返事は『YES』しかありませんでした。
 

私 「でも1つお願いがあります。スタートからの経費を僕も持つから、利益も経費割合に応じて分配する形にしてください。」

先輩「いや、それはダメだ。」
 

……。

結局、最高幹部だけど共同経営ではない形で参加することになりました。
 

はじめてのすれ違いが新会社立ち上げ参加時に起きていたのです。ものすごい違和感があったことを今でも覚えています。そしてこの違和感は退職するまで16年続くことになります。
 

しかし『絶対的な絆』を最優先している私は、心のなかの声は無視して『絆』を信じることにしました
 

そのとき私に与えられた役職は『課長』です……。
 

「なんで専務じゃないんだろう? せめて部長じゃないのか?」
 

たった2人しかいない会社です。社長になった先輩にどういう意図があったのかは今でもわかりません……。聞いたけどよくわかりませんでした。

すぐに求人広告を掲載して社員を採用します。
 

それから1年くらいたったころには、社員が5人くらいに増え私は社内の業務全般を一手に引き受けることになります。

肩書は課長ですが、現場のことがわかるのは私1人だけ……。
 

『営業部長 兼 総務部長 兼 社長秘書』
 

みたいな1人3役状態。

細かくいうなら人事も担当していたし、法務関係も担当していたので何役やっていたのか……。
 

ガムシャラに働きました。丸1日の休みは半年に1回程度。

それでも売上が思ったように伸びません……。
 

営業ができたはずの先輩と私が最低限の売上も作れないことが多かったです。なぜなら、会社は経営方針・商品選定・営業方針・教育・裏方のサポート・お客さんの存在など、色々なことが積み重なって売上が発生するから。
 

決して1人の営業力だけで成り立っているわけではないのです。そのことに、営業だけしていた時代には気がつきませんでした。

多くの人のサポートや会社としての仕組みや実力があっての売上なのです。
 

当然、売上が伸びないので厳しいことも多かったです。

給料が10万円のこともありました……。

それでも問題はありませんでした。何しろ先輩との絆がありましたから。
 

先輩と2人で安ーい酒を自宅で飲んで「成功しようぜ!」って夢を語っていました。お金はなかったけど、毎日が充実していました。
 

会社で仕事することが私のなかで何よりも最優先事項になっていきます。

物語(4):少しずつ絶対の絆に違和感が出はじめた話

新会社立ち上げから5年くらいたつと、私は総務部長に昇進します。課長から部長に昇進です。

 

「やることも、給料も変わらないけどな……。」
 

って思いならがらみんなに祝ってもらいました。
 

しかし、この部長に昇進したあたりから、会社とのすれ違いが発生しはじめます。
 

・現場の方針のこと
・お金に対する価値観
・会社の方向性について
 

先輩と衝突が多くなりました。

それでも2人には絶対の絆があります。
 

衝突するたびに、安い居酒屋で意思疎通。最後は酔っ払って、「お互いがんばりましょうーーー。」って感じ。
 

絆と少しずつ感じる違和感の2つの感情に戸惑いを覚えます。
 

それでも会社が何よりも最優先なのは変わりませんが……。

物語(5):アフィリエイトとの出会い

2014年、36歳になっていた私は、いつかは自分のチカラで稼げるようになりたいと思って、色々と調べてはお金を稼ぐ方法を試していました。

しかし……

どれもこれも成功の可能性すらないのです。辛いしもどかしい……。
 

そんなときにアフィリエイトという言葉を知りました。
 

「胡散臭いな……。」
 

それが第一印象です。

その後アフィリエイトなんていう言葉はすっかり忘れて、副業を紹介している情報商材を購入したら、『ポイントサイト』『FX』『せどり』などと一緒に『アフィリエイト』が紹介されています。
 

「コレをやるのがいいのかもしれない。」
 

このときはなぜか胡散臭いと思うことはなく、直感的にはじめることを決め、すぐにドメインとサーバーを契約。
 

それから数ヶ月、なんとか記事を書いていたら、ASPの管理画面に成果発生の文字が……。嬉しかったです。
 

51円……。

お祝いに妻を連れて焼き肉に行きました。

自分のチカラで稼げた瞬間でした。
 

『もしかしたらこのアフィリエイトで将来独立できるかもしれない。いや、コレでやるんだ。』

と強く決意したのです。
 

その後はネットでブームになっていた、『アンリミテッドアフィリエイト(通称アンリミ)』という情報商材を2万円か3万円くらいで購入しました。
 

「この商材すごくないか……。」
 

レベル高すぎてよくわからない部分も多かったのですが、なんとか当時の自分でも出来そうな部分だけをやりきりました。

夢中でした。

それからは、自分が使用してよかったものを紹介したり、解説したりするようになります。
 

しかしアフィリエイトは成果ができるまでに時間がかかります。一気に成功とはいかず、この後、私はノウハウコレクターになって迷走状態に……。
 

それでもアフィリエイトが絶対的な趣味になっていきます。

物語(6):妻がガンになって価値観が変わった話

妻が31歳でガンになりました……。

「まさか。まさか……。嘘だろ。」
 

2017年2月に手術をして約2週間入院することになりました。

仕事を2週間休んで毎日面会に行きます。他愛もないことをしゃべって、病院のなかを散歩して……。
 

毎日仕事をして、家に帰ったら妻がいるという当たり前の日常が壊れたのです。
 

普通だった日常は決して普通じゃなくて、非常に貴重な日常なのです。この出来事があるまで、当たり前すぎて考えたこともありませんでした。
 

2018年まで続く抗がん剤治療もすべて病院まで付き添いました。

そんな闘病生活が最優先になったとき、ふと脳裏をよぎったのが……、
 

『この先どうなるかわからない。このまま仕事だけしていたら後悔するかもしれない』
 

仕事が最優先だった私の価値観が一変します。

その後、治療が3ヶ月に1回になり少しずつ落ち着いていきます。手術後は妻の体調もとくに問題なく、心のどこかに不安は抱えながらも普通の毎日が戻ってきました。
 

妻が普通の生活を自宅でできるようになったとき、仕事の休みを増やす事を決意します。

今まで新婚旅行でしか取ったことのない連休を毎月取るようになり、妻とたくさん旅行をするようにしました。
 

2人の時間を増やしたかったからです。

旅行は私と妻にとって共通の趣味であると同時に、2人の時間を何倍も楽しくさせる生きがいへと変わっていきます。
 

このブログで旅行記を書いているのも、後日妻とお酒を飲みながら見返して「あのときは楽しかったよなーーー。次はどこに行く?」って語り合うため。
 

この時の経験と想いが、16年務めた会社への退職につながります。

物語(7):旅行との出会い

話が少し前後します。
 

「台湾へ新婚旅行を4泊5日でするので連休をください。」
 

2012年に結婚した妻と『新婚旅行』をまだやっていなかったので、台湾旅行をすることにしました。

2003年に会社の立ち上げに参加してから、2016年まで13年間は年末年始以外に連休を取ったことがありませんでした。週休1日の月4日休みを13年間続けていました。
 

それくらい立ち上げで参加した会社がすべてだったんです。不満に思ったことも1度もなかったのですが、あまりにも仕事が優先すぎて、妻との思い出がろくになかった……。
 

だからこそ新婚旅行をすることにします。

今まで1回も連休を申請したことがないので、休みを申請するのはドキドキします……。
 

申請するときに強く身構えていて、

「もし連休申請を断られたらキレよう。」

そう思っていたら2つ返事でOKがでました。
 
 

2016年7月行きましたよ。台湾に。

いやーーー、楽しかった。最高に楽しかった。妻と2人で食べ歩きしまくりです。

毎日がお祭りのような台湾の夜市にドハマリする私と妻。
 

見るもの、体験するアクティビティ、すべてが新鮮で非日常がそこにはありました。

帰国後、翌年に名古屋旅行、さらに翌年に大阪旅行。
 

この3旅行で完全に妻と私は旅行にハマりました。

その後は、徳島に行ったり福岡に行ったり静岡に行ったり熊本に行ったり。他にもまだまだあります。
 

「仕事も大事だけど、旅もいいなー。」
 

超仕事人間だった私は、夫婦の時間よりも仕事が優先でした。

しかし夫婦で旅行して、現地の美味しい食事をするのが共通の趣味になり、私にとって仕事と同じくらい重要なものになっていきます。
 

そうしたら旅行にはお金も必要なので、節約とか税金とかにも興味が出てきたんです。

家計を見直したらムダがいっぱい……。
 

一つ、ひとつ対応していって、気がついたら、生活水準を変えずにお金の支出を減らすことが可能になっていました。
 

ブログでおこづかいもマイルも稼げるようになっていました。
 

「あ、コレ発信したら誰かの役に立つじゃん!」って思ったんです。

物語(8):16年務めた会社を辞めてフリーランスになった40代の話

結局、41歳になり2019年6月に16年務めた会社を辞めました。

「なんか不思議な感じがする……。」

辞めていつもの時間に出勤しなかったときに最初に思った感想です。
 

少しずつ慣れないと……。

そう思いながら今後の事を考えます。実は次の転職職先も決めずに辞めました。
 

最高幹部の自分が、仕事の引き継ぎもしないで就職活動をするわけにもいかなかったからです。会社に対して感謝の気持ちが強かったので、引き継ぎもやらないような不義理な退職はしたくなかったんです。
 

実際、引き継ぎは8月くらいまでかかりました。退職後も引き継ぎで会社に行っていました。

次の転職先を探しましたが、給料と休みのバランスが取れる会社がありませんでした。
 

私のやりたいことは決まっています。
 

自分の時間を家族と自分のために使うことです。
 

普通に就職先を探しても条件に合わないので自宅で仕事をすることにしました。

ずーーーっと好きでやっていた、アフィリエイトを仕事にしようと決意します。
 

収入もずーーーっと減りました。社会的地位もなくなりました。

けれど家族との時間は何倍も増えたんです。
 

毎日が前向きな気持ちになっているのがものすごく実感できます。
 

今はムリに背負ってきた責任感も何もありません。自然体で1日1日を大事に妻とすごす日常があります。

普通にすごせる1日は普通ではなく貴重なものなんです。
 

アフィリエイトに出会わなければ、自宅で仕事をしようなんていう選択はできなかったと思います。
 

『絶対の絆』
 

を求めた私はアフィリエイトをすることで、自分の時間を家族と自分のために使うことができるようになりました。

素晴らしいことだと思っています。
 

脱サラした今、私は多くの人にブログアフィリエイトの可能性を伝えたいと思うようになりました。
 

自分がアフィリエイトで働き方が変わり、新しい価値観を手に入れたように、今後誰かに働き方は色々あるってことを伝えられたらいいなと思っています。
 

どこまでできるかわかりませんが、第2の人生を40歳を超えてスタートです。

楽しみしかありません。

やるだけ。

さあ、自分の新しい生き方を大事に毎日を楽しみたいと思います。

フリーになってやりたかったこと3つ

・妻と一緒の時間を増やしたい
・好きな時間にご飯を食べたい
・自分が「これはイイ!」と思ったものを売りたい
管理人
やりたかったことが叶いました。

まとめ:ミハナログで発信している内容

このブログの【コンセプト】は、

会社の給料しか収入がなくて消耗している人に
自分のチカラで稼ぐために必要な『儲けの仕組み』を紹介する

です。

月3万円手に入ったら、家族との時間が楽しくなりませんか?
 

【このブログを読んでほしい人】
・残業の代わりになる稼ぐ手段を探している人
・ブログの結果が出なくて挫折しそうになっているブロガー

会社にいつの間にか依存していませんか?
家族より会社の方が優先になっていませんか?
 

ブログは自分で稼ぐチカラを身につけられます。

そのときに気がつきます。

「働き方って色々あるんだ……と。」

以上、ミハナログをよろしくお願いします。

それではー。

管理人
ブログはリスクがほとんどない個人で稼ぐ方法の1つです。

ミハナログでは有益な情報を日々発信しています

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